紙上ツイッター会報39号



小野晴巳(地球冒険学校準備会理事長)

1、責任について

 私達は家庭で育てられたり、子供を育てたり、人間として助けたり助けられたりして生活しています。会社等で働き社会人としても生活していますが、意識的に責任を自覚して生きていると思います。
 しかしながら、最近の出来事を振り返ってみると責任感を持っていない人が多すぎるようです。特に、責任を負う立場の人の言動には驚きます。例えば、JR北海道の事故や食材偽装事件等報道されていますが誰が責任を取るのでしょうか?おそらく責任を取る人は少ないでしょう。福島の原発事故でも同じでした。「想定外」ということで東電はすべての原因を「津波」にしてしまいました。科学的検証の報告を現在もしていません。そのうち国民は忘れてしまうのでそれを待っているとしか思われません。日本人は忘れっぽい人種で「人のうわさも75日」の諺があるくらいですから。しかし、それでは困るのです。忘れていい事と忘れてはいけない事があるのです。
 特に、忘れられない事件、歴史的事項は正しく記録に残し子孫に伝えていく義務・責任があります。自然災害、戦争、文化、芸術、生活等の記録です。
 「いつやるの?今でしょ!」の流行語ではありませんが、福島の原発事故、東日本大震災や忘れかけている太平洋戦争等を正確に記録し、検証して悪い歴史を繰り返さないようしたいものです。
 さて、前号に福田宏氏の「武者小路実篤氏の書画と言葉について」の記事が掲載されていました。いつも行事に参加していただいている福田氏と作家武者小路実篤氏との関わりを興味深く読ませていただきました。私の青少年時代には必読の作家の一人でしたからなおさらです。また。武者小路実篤記念館の館長さんとして勤務されているとのお話をお聞きして是非じっくり伺いたいと個人的に思いました。そんな事で、早速自宅で本棚から赤い装丁の日本分学全集17「武者小路実篤集」(新潮社昭和36年7月発行定価290円)を取り出しました。今から53年前、私の大学時代の本ですから古いです。でも中身はまったく古くなく、現代で失われた精神や心理を語っている内容や表現に改めて感銘を受けました。
 その中からこんな文章がありました。「真に国家を愛するものは、国家の真理にそむくことの遠いのに恥じ、どうかして少しでも真理に国家を近づけたいと望むべきである」「かつて、真理を重んじすぎた為に滅びた国はない。暴力や無道、圧制の為に国はつぶれた」(幸福者より)等など上に立つ人への戒めの言葉がありました。無責任の社会の今こそ一読を。

2、原発のこと(2)

 前回「原発の原理」という内容で原子や原子核や核反応について書きました。順番として次は原子力発電所の構造と放射能そして人的なシステムなど書く予定でしたが、小泉元首相が「原発ゼロ」の記者会見をして阿部首相に迫っています。小泉元首相の主張は科学的に見ると2つ。1つは核のゴミの問題、2つは原発再稼働後に発生する核のゴミ処分場の問題です。この2つの問題を解決できないから反対であると主張しているわけです。そこで、私も原発ゼロについて小泉元首相の主張に沿って科学的に話してみたいと思います。
(1)核のゴミとは?
  核のゴミとは「放射性廃棄物」の事です。使用済み核燃料棒だけでなく、採掘現場のウラン残士や発電所が廃止されたときに生ずる設備・道具を含めた発電所施設全体等が放射性廃棄物になります。分類により液体廃棄物とか長寿命廃棄物とか発熱性廃棄物とか呼ばれます。共通しているのは全て放射能まみれで、毒性が強くて人体に影響を及ぼすので家庭ゴミのように焼却したり埋めたりして処理することのできない特殊なゴミになります。ゴミの扱い方によってはメルトダウンして福島の原発事故を起こすことにもなるゴミです。原発は「トイレのないマンション」か「ブレーキのない車の自動車工場」ですが、安全神話に守られて建築され、操業してきました。
  最大のゴミは使用済み核燃料棒です。これと、使用済み核燃料棒を再処理してできる廃液とガラス固体化された物体です。これらが高レベル放射性廃棄物といわれて最も始末に困るゴミになります。人類初の原子炉が稼働したのは1941年。あれから72年間必死で放射能を無毒化しようと研究してきたのに解決法がありません。人類は放射能を作れても無毒化する技術を持っていない。こんな危険物はない。だからやめろと。小泉元首相は主張するのです。福島第1原発4号機の使用済み核燃料の取り出し作業で理解できるように、核のゴミは大量にあり大部分は原発内に保管されています。もし、東日本大震災のような事が起きたら福島のように大災害が間違いなく起きます。さらに、再稼働すれば核のゴミは増えつづけますが、原発内はもう限界ですからどこに保管すればいいのでしょうか。
(2)核のゴミの処分場が決まらない?
  「原発推進派は核のゴミの処分は技術的に決着している。問題は処分場が決まらない事だけといいます。小泉元首相は処分場が決まらないのが問題であるから原発ゼロだと主張します。」
(ア)核のゴミの技術的に決着しているとは?
  核のゴミの技術的決着とはゴミの後始末の事です。このやっかいなゴミを最初はきわめて簡単に考えていて土に埋める、海洋投棄する事でした。(1960年前後)、しかし、禁止されてしまい(1983年)。以降さまざまな経過を経て現在の処分方法はドラム缶に固めて青森県六カ所村の埋設センターに一時保管し(中間貯蔵方式です。)最終処分場では放射能のレベルが低下するまで300年間安全に保管する。段階的に管理し埋設する。300年後は公園にもできます。(1985年原子力安全委員会)。これが解決策と言われるものです。
  驚くべき期間です。その間ドラム缶は大丈夫でしょうか。300年も経てばドラム缶はボロボロになり崩れてしまい放射能が漏れてくるだろうと素人でもわかります。しかしそのことはなにも書かれていませんし安全としているのです。計算によると300年後でも体の中に入れていけない量の10万倍もの放射能が残るそうです。
 もうひとつの処分法は再処理してガラス体で固めて地中に埋める方法です。 
使用済み核燃料には燃え残りのウランとプルトニウムがありますから、これを取り出してもう一度核燃料の材料にしようというものです。その後残っているもの(死の灰等)を溶かしてガラスに固めて保管しながら岩石中や土中に埋設するのです。
  このガラス個体は放射能の毒性が強くて何十万年保管する必要があるといわれています。
 この方法の先進国のひとつにフィンランド国があり、小泉元首相が処分施設を見学して原発ゼロ発言になったと言われています。フィンランドの「オンカロ(隠すという意味)施設」の計画は花崗岩の地下500メートルに放射能廃棄物等を格納し、入口を塞ぎ10万年間保管するという膨大な施設で、保管期間の長さに気が遠くなります。
(イ)小泉元首相の発言からの感想
  「今の私達は150年前の古典でさえ読めないし意味もわからない。何万年後なんて想像もできない」「最近若い人をレストランに招待した。食事を目の前に若い人はヤバイと大声で言った。何か悪い食事でも出したかなと申し訳なく思ったらそうではなく、おいしい、素晴らしいをいう意味だと言う。このように、今の人との会話さえ全く違ってくる。ましてや何十年、何百年後の言葉なんかわからない」
  この発言は、原子力計画にたいする反対声明であり、原発即ゼロを表現した小泉節です。確かに、数千年前にできたといわれているスフィンクス・モヤイ像・ナスカの地上絵等、日本では紀元後の邪馬台国とか聖徳太子の存在さえ謎があり現代でも解決できていません、数10万年後など誰もわからないのです。小泉元首相の主張に説得力がある根拠です。それに、現在は核のゴミと処分の問題を科学的に解決した国はどこにもないし、ドイツも原発ゼロを宣言したのも科学的に未熟な段階であるからという理由です。日本国内で再稼働を引き受けても最終処分場を拒否するのはこの科学的危険性を十分理解しているからです。

  さて、原発には賛成派と反対派があり、英国・トルコ・ヴェトナム・中国等の国では新設や新設を予定するなど原発にはさまざまな意見があります。是非意見をお聞きしたい。