第4回
武者小路実篤 と “ 妹 ”
実篤には6歳上の姉はいましたが、妹はありませんでした。実篤が多感な中学の頃に、その姉は若くして亡くなり彼は非常にショックを受けました。では何故“妹”なのか?
“かぐや姫” (1975年解散)というフォークグループの南こうせつと伊勢正三が、最近“ひめ風”というユニットを組み、私達には懐かしい、“神田川”や“妹”などを歌っていました。
「妹」は、嫁にいく前夜に隣室で小さな寝息たてている妹に「・・・妹よ 父が死に母が死に お前ひとりお前だけが 心のきがかり…」と兄がそっと語りかける歌詞です。(注1)
実篤の戯曲に「その妹」(注2)があります。この戯曲には(この一篇を亡き姉に捧ぐ)の献辞があります。父親は実篤2歳の時に結核で亡くなりました。母と姉と兄と実篤とは、同居の祖母や縁戚の年寄とともに、華族の体面を保ちながらも赤貧の暮らしをしのいできました。兄は学校でも家でも、何をやらしてもずば抜けていました。運動も学業も兄にはかなわない、しかも人とのコミュニケーションが下手で、友達が少なく、物思いに耽り勝ち、頑固でいて呑気な実篤の幼少期、姉はいつも温かく見守り可愛がっていました。そして幼い実篤も姉を慕っていました。その姉も結婚はしたものの夫とはそりがあわず、その上姉は病弱で、やはり結核により帰らぬ人となりました。姉の病が悪くなると、幼い頃やはり病弱だった実篤に病気が移ることを心配した母が、実篤に姉への面会を許さないまま、そして母や実篤の「たとえ生きているだけでも」という思いも通じないままに、実篤15歳の頃に姉は旅立ちました。自分の記憶にはないけれど父の死、そして愛され愛してきた姉の死は、実篤の心に大きな傷となって残りました。
「青年実篤の心にいつもからみあっていたもの、死の恐怖と、恋と、仕事への欲望、・・・・実篤の作品にはこの三つのものが絶えず現れる。…若い頃の実篤の書いたものには『淋しい』という言葉が無数に散らばっている。・・・・『淋しさ』とは何なのか、実篤はそれを説明していない。」(注3)とある方が書いています。
「その妹」なる作品は、もとは画描きで世に認められ始めた矢先に召集され戦地で盲目となった男、画を描けない口惜しさ淋しさをぶつけながらも、物書きを目指す兄・広次と、その兄を敬い一切の世話をしながら口述筆記する妹・静子の二人の物語。一時は自殺も考えた兄と、兄が「生きているだけで幸せ」という妹。二人は貧しく叔父夫婦の家に食客として世話になっている。いつかは自分の作品が認められ自活できることを願っている。だがその妹に裕福な家の息子との縁談をと、叔父・叔母に勧められ・・・・・悩む二人。相手は“よくない噂”・“手癖が悪い”ことで、学校を退校させられたという風評がある。兄は行かせたくない、妹も「私はお兄さんのわきを、今ははなれることはできません…お兄さんのお仕事の手助けをしなければなりませんから…」・・兄の小説はまだ金にならず・・・隣のばあさんからは“妾(メカケ)になる気はないか?”の話まででる。先に文筆で世に出た、兄の友人が多少の金を工面してくれて、静子の縁談には反対だと言うが・・・・・
戦争の悲惨さ、障害をうけた人の苦悩、その家族や友人の悩みを著わした作品。廃兵の一時金を預かり実際には取り上げたうえ、二人を居候呼ばわりする叔父夫婦。縁談の相手が、叔父自身が仕事の上で世話になっている人の息子なので、その縁談を姪(静子)が拒れば自分が職を失う心配があり、噂を承知でありながら強要する…など、その時代にはよくあった世相を実篤は主人公たちに語らせます。
2013年公開の映画「くちづけ」(注4)では、知的障害の兄を思う「妹」がいました。自立支援グループホームに、売れない漫画家の娘でいつまでも7歳児のままのマコちゃんと、“うーやん”他が暮らしていて、二人はいつのまにか心を通わせるようになるのですが、そのグループホームが閉鎖されることとなります。マコちゃんは亡くなってしまい、兄(“うーやん”)の障害が故にフィアンセに逃げられてしまった妹・智子は、兄とともに生きる決心を・・・・という話でした。実話に基づくもので、演劇として上演された時も、映画化されても、かなり話題となり国内は勿論、海外でも観客の涙と共感を誘いました。
障害の種類と程度、またそれぞれの作品の行き着く所は違っても、妹が兄を思う気持ちがよくあらわされていました。歌の「妹」のように“ほのぼの”と心に沁みる部分もありますが、“障害”が背景にあると、さらに厳しく深刻なものになることが多いのが現実です。
お兄ちゃんは昨日から瀧乃川学園2泊3日のショートステイ。今は我が孫ちぃちゃんのためだけの短い時間。ちぃちゃんとは将来に残る楽しい思い出を沢山作ろうね・・・・・
でも、ちぃちゃんがぐずぐずしていると、ついつい大声で怒ってしまうことがあるよね、“じぃじ”も“ばぁば”も「ごめんなさい」。さぁ楽しく!楽しく!!
でもいつの日か・・・・・、ちぃちゃんが嫁入りする前夜に
お兄ちゃんが「…♪明日朝お前がでていく前に あの味噌汁の作り方を書いていけ…♪」と
たとえ心の中でも、口ずさみ 歌えるようになればいいなぁ!と思っているのです。
もし機会と、私自身の余裕があれば、武者小路実篤について追記の文章(5)をと考えています。
-2014.4.26. 記-
(注1) 「妹」歌・作曲:南こうせつ 作詞:喜多条忠 1974年(昭和49年)リリース
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妹よ ふすま一枚へだてた今
小さな寝息をたてる妹よ
お前は夜が明けると
雪のような花嫁衣装を着るのか
妹よ お前は器量悪いのだから
俺はずい分心配していたんだ
あいつは俺の友達だから
たまには三人で酒でも飲もうや
妹よ 父が死に母が死に お前ひとり
お前だけが 心のきがかり
明日朝お前がでていく前に
あの味噌汁の作り方を書いていけ
妹よ あいつはとても いい奴だから
どんなことがあっても我慢しなさい
そしてどうしても どうしても
どうしても だめだったらかえっておいで 妹よ…
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(注2) 戯曲「その妹」1914年(大正3年)実篤29才の作品。1915年雑誌「白樺」に発表。1917年(大正6年)舞台監督山本有三、加藤誠一(広次)、三井光子(静子)で初演。その後もT9年守田勘也、森律子、T13年山田隆也、岡田嘉子、夏川静江などで演じられ、戦後も1951年(S26年)三越劇場・劇団民芸で宇野重吉、小夜福子、滝沢修、細川ちか子などで上演、大阪・京都でも上演されたほか、何度も「民芸」他での公演があった。またごく最近でも2011年12月市川亀治郎(現・市川猿之助)が広次、蒼井優が静子で三軒茶屋シアタートラムにて上演、熱演が話題となった。この模様は2014.2.20にWOWOWでTV放映。
(注2追記)1951年(S26)「その妹」を熱演した宇野重吉は、同じ三越劇場で「馬鹿一の夢」(実篤の戦後の代表作“真理先生=馬鹿一シリーズ”のひとつ)を度々演じた。1987年(S62)12月には闘病生活から再起し“体が動く限りは!”と舞台に上り‟馬鹿一“を演じ続けた。その千秋楽のわずか半月後に帰らぬ人となった重吉の最後の舞台が、まさに実篤作品だったのも何かの因縁かとすら思えます。
(注3) 小学館・武者小路実篤全集 第2巻解説 関口弥重吉
(注4) 映画「くちづけ」2013年春公開。出演:貫地谷しほり、竹中直人、宅間孝行 ほか 劇作家で俳優の宅間孝行が主宰し2012年解散した劇団「東京セレソンデラックス」の伝説的舞台の映画化。 漫画家といつまでも7歳児のままの娘、知的障害ある兄と兄思いの妹などをめぐる物語。実話をもとに演劇化された。
武者小路実篤について、ぜひ、調布市武者小路実篤記念館 と 「新しき村」ホームページもご参照ください。