第55回
「親と子」という関連でいくつかの閑話
皆さんこんにちは。寒かったり温かくなったりですが、こうして春になるんですね。ところで、年に4回だけのこの連載ですが、いつも何を書こうかと困っています。今回は、最近私の頭の中にどんよりと居座ってしまったあの暗いニュースをネタに、と考えていたのですが、あまりに暗く悲しい話題なので、さてどう書こうかと迷っていました。すると、娘が「私が手伝おうか。」と言ってくれたではありませんか。渡りに船と、私は娘に原稿を依頼してみました。娘はやる気満々で、時事ネタとは関係なく冬休みの山登りのことを書いてくれたのでした。そういう訳で、今回の「なめとこ山通信」は、娘(小5)が書いてくれた山行記録+私のつっこみとその他諸々、といった体裁になっています。輪をかけてグダグダですが、お時間ありましたらお付き合いください。まずは、娘の山行記録で始まります。
私は、1月3日から1泊2日で、父と雲取山に行きました。私は標高が1000mより高い山に登ったことがありませんでした。これからは、ワクワクの2日間の思い出を書いていきたいと思います。
(父・もう覚えていないだろうけれど、本当に小さい頃、高ボッチ山という山に登ったことがあるよ。あそこは標高1665m。けどまぁ、車でかなり上の登山口まで登れて、歩いた距離はほんの少しだったけれど。あと、秋田駒ヶ岳も登ってるじゃん。あれは幼稚園の時? 秋田駒は、1637m。てなわけで、2000mは越えたことがなかったね。)
1日目。朝早くから家を出て電車とバスで雲取山の登山道へと向かいました。登山道に到着すると、そこからひたすら歩くこと約2時間でその日の目的地「三条の湯」へと到着しました。ついてからは持ってきたオセロで遊んだり、写真を撮ったりして疲れた体を休めました。そのあとはお待ちかねの入浴タイム! 時間制で、1つのお風呂を男女交互に入るシステムでした。山でお風呂に入るのも初めてだったし、1人だったのでとても怖かったです。お風呂が好きな私でしたが、15分ぐらいで出てしまいました。
そのあとも少し寝たりしてのんびり過ごしました。夕食の時間となり、食堂へ向かいました。夕飯は、イノシシのお肉や、シカのお肉など私が食べたことのないものばかりでした。食べ終わったらすぐに寝る支度にはいりました。父が眠った後にとてもトイレに行きたくなりました。夜に1人でトイレに行くのは1番いやだったことでした。しかしこのままがまんしても・・・と、思った私はトイレに行くことにしました。無事、トイレもすんで良い眠りにつき1日目が終わりました。
(父・1日目の林道歩き、メッチャあっさり書いてるね。たしかにあの、後山林道は、特に景色が良いわけでもなく退屈なんだよね。でも、山葵田を見娘が「ムンクの叫び」みたいと言った砂防ダム
つけたり、ムンクの叫びのように見える砂防ダムで写真を撮ったりしたよね。三条の湯には、わりと早くに着いたんだよね。オセロを持っていって良かった。お風呂は、色んなものが浮いていたって、文句を言っていたけれど、山小屋でお風呂に入れることはあまりないことなんだよ。瑠璃は一人で入ったようだけれど、父さんの時はおじさん達5人が、あの広くはない湯船にギュウギュウになって入って、だから父さんはもういいやと思って、やっぱり15分もしないうちに出てきちゃったよ。夕食の料理はおいしかったね。イノシシと鹿と、どっちがどっちかって説明されたけれど、すぐ忘れちゃった。どっちも美味しかったよね。父さんは、イノシシは初めて食べたよ。それから、外のトイレ、夜中によく行けたね。起こしてくれればよかったのに。え、鼾かいて寝てたから、起こさなかったって? あっそ。)
2日目。起きたのは5時。すっかり目が覚めたところで朝ご飯になりました。朝ご飯もお雑煮などと、とても豪華でした。そして7時には、三条の湯を出発してまた歩き始めました。しばらくは、足の感覚がなくなるくらい寒かったです。だんだん暖まってきた頃に登りがきつくなり、同じ道を何回も通っているような感覚でした。雪がうっすら積っている道もあり滑ったりもしました。その後もひたすら歩きつづけ三条ダルミに到着しました。そこで休憩をとりました。富士山を見ながらのドライマンゴーはとてもおいしかったです。
元気になったところでまた歩き始めました。笹が生い茂った道を歩き視界が開けた場所に到着しました。ついに頂上だ!と、思いましたがもうひと登りしたところが頂上です。そしてついに頂上に到着したのです!!! 頂上では写真を撮ったりお菓子を食べたりしました。しかし、山頂でくつろいでいる暇もなくすぐに下山し始めました。少し下ったところでご飯を食べました。ご飯は三条の湯の人が用意してくれたちらし寿司を食べました。ボリュームがあってとてもおいしかったです。
おなかいっぱいになったところで、また下山を始めました。下山を始めて4時間後・・・ついにふもとのバス停に到着しました。バス停で飲んだココアは、今まで飲んだココアの中で1番おいしかったです。そしてバスと電車で家に帰りました。1回も疲れたと言わずにがんばれました!
(父・一応、軽アイゼンを持っていったんだよね。瑠璃には、新しく買っていったんだ。ところが、父さんの古い方は、朝、靴に付けようとしたらゴム三条の湯のお弁当、ちらし寿司。
が切れちゃったんだよね。ガチガチに凍っているところがほんのちょっとあったけれど、まぁ結果、アイゼンなくても平気だったね。木の橋とかあったところは、楽しかったね。パァーッと視界の開けた三条ダルミからの富士山は、絶景でした。三条の湯で作ってくれたちらし寿司のお弁当は、とってもおいしかったね! 下りの尾根歩きは、天気も景色も抜群だったよね。それにしても、よく頑張って歩きました。父さんの方が、あの長い下りはもういいやって気になって、ヘロヘロだったよ。)
・・・と、こんな冬休みがあって、1月になりました。そして1月になって、千葉県野田市の小学4年生のあのニュースが報じられたのでした。娘と同じような年頃の女の子(栗原心愛さん)が、父親の虐待によって亡くなったというあの事件です。しかも新事実が報道される度に、学校や母親やその他諸々の周りの大人達は、なぜ彼女を助けられなかったのかと、怒りとも悲しみともつかないやるせない思いに駆られることになりました。そうした中で世論の非難の矛先は、児童相談所に向けられました。私も、当初は「児相なにやってんだ!」という思いでした。尊い命は戻っては来ませんが、なぜこのような事態が起きたのか検証し、今後どのような対応・対策をとるべきかを、徹底して関係者で協議するべきでしょう。そんなふうに思っていました、・・・他人事のように。そうです、たぶん多くの人と同じように私も義憤に駆られ、多くの人と同じように、だから何か行動するのかといえば何もしないでいたのです。同じ小学生の女の子の親でいながら。児童相談所が、全く身近に感じられないという環境ではなかったのに・・・。
私が今勤めているのは、昼夜間三部制という定時制の高校です。家庭に複雑な事情のある生徒も多く在籍し、児相案件は頻繁に話題にあがります。しかし担任や、自立支援コーディネーターの教員でない限り、直接、児相の方と話したりする機会はありません。児相の職員の方々が、どれほど多忙を極めているのか、そもそも児童相談所とはどんなところなのか、私はわかってはいませんでした。野田市の今回の事件を受けて、児相の危機介入機能の強化や、児童福祉司の国家資格化も検討されるようですが、心愛さんを死なせてしまった遠因は、何も出来なかった世間の私たちの無知・無関心なのだという思いでいっぱいです。それで最近は、どんよりとした帳のようなものが私の頭の中を支配していたのでした。
最近、「目の見えない人は世界をどう見ているか」(伊藤亜紗・著 光文社新書)という本を読みました。その冒頭に、こんなことが書いてありました。
「福祉制度そのものの意義を否定するつもりは全くありません。私が危惧するのは、福祉そのものではなくて、日々の生活の中で、障害のある人とそうでない人の関係が、こうした「福祉的な視点」にしばられてしまうことです。つまり、健常者が、障害のある人と接するときに、何かしてあげなければいけない、とくにいろいろな情報を教えてあげなければいけない、と構えてしまうことです。そういう「福祉的な態度」にしばられてしまうのは、もしかするとふだん障害のある人と接する機会のない、すなわち福祉の現場から遠い人なのかもしれません。」
本は、目の見えない人が感じている世界と、私たちに見えている世界との違いについて書かれたものですが、身近にありながら私には見えていなかった世界がそこにはあるということを、教えてくれてもいるようでした。職場では「それは児相案件だな」などと話していながら、現場から遠い人であった自分がいました。もう一度、さて自分には何が出来るだろうかということを、考えてみたいと思いました。
もう一つお話があります。再び親バカネタですみません。先日、東京都公立学校美術展覧会というものを見に行って来ました。実は娘の工作作品が選ばれて、上野の東京都美術館に展示されたのです。選ばれたと言っても、同じ学校から何人かの作品が選ばれ、そうして東京中の学校から作品が出品されているので、それはそれは膨大な作品数の大展覧娘の作品、「サバンナのよろこび」。キーホルダーかけ、なのだそうです。
会なのでした。娘の作品が展示されない限りは足を運ばなかった展覧会だと思いますが、こんな機会をいただけて本当にたくさんの子ども達の素敵な作品が見られたことは、この上もない幸せでした。ちなみに、娘の作品は木工の立体作品で、ちょっぴり、なんで選ばれちゃったろうかと気後れもするものでしたが、たぶん、作品につけた「サバンナのよろこび」というタイトルが、空回りでも作品に箔を付けたのだと思いました。ナイスネーミング!
東京都公立学校美術展覧会 スナップ写真
この展覧会では、これもいいな、あれもいいなと感じた素敵な作品がたくさんあったのですが、ある作品の前で、私はしばし釘付けにさせられてしまいました。それは、5年生の女の子の、絵と詩の作品でした。スニーカーの絵と、「お母さんが好き」と題された詩でした。すべてのお母さんが、この作品の前で立ち止まったのではないでしょうか。そしてその詩は、すべての5年生の女の子の気持ちを代弁したものではないかなと、私は思ったのでした。子どもは誰しも、お母さんが大好きです。うちの娘も、外づらが良いばかりで家では母親と怒鳴り合う喧嘩をしたりもします。それでも、どんなに喧嘩をしても、ひどい言葉を言い合っても、たとえ虐待を受けても、親が子を愛するより以上に、子は親のことを愛してしまうのではないでしょうか。そんなことを思って、何だか涙が浮かんでしまいました。だから親は、子ども以上に努力して子を愛さなければならないのではないでしょうか。その手を離さないで、ぎゅっと抱きしめてあげる必要があるのではないでしょうか。
子育て、大変ですよね。だから声を掛け合って、知恵を出し合って、助け合っていきましょう。「大好き」と言う声に、応えられるように。
お母さんが好き
お母さんが大好き
最近すぐ おこってしまうお母さん
つかれているのに 何でおこってしまうんだろう
自分でわかっているのに
本当はケンカしたくないのに
何でだろう何でだろう
わからない
でも大好き
言葉に表せないくらい