地球時代の 会報62号



第51回

日本で開催されたラグビーワールドカップ2019

文章を読んで理解する、という行為が、いかにその文化的、歴史的背景を無視しては成り立たないか、ということを改めて実感しています。

SPREAD SPORTSというインターネット上のスポーツを扱うプラットフォームhttps://spread-sports.jp/archives/35487 で、今回のラグビーワールドカップで優勝した南アフリカのスプリングボックスのキャプテン、シヤ・コリシ選手の記事を読んでいた時、以下の文章で表されていた彼の言葉が妙に心に引っかかりました。

「前に南アフリカが優勝した2007年W杯は居酒屋で見ていました。家にテレビがなかったんです」

この発言からどんな風景が見えるでしょうか。

私は、これではあの頃の彼の吸っていた空気は伝わらない、と思いました。

翻訳される前の彼の英語での彼の発言は以下の通りです。

When we last won the World Cup, I was watching it in the tavern, because we didn’t have a TV at home.

ターバンを居酒屋と訳すのは、あまり南アフリカの現状を知らない場合、仕方のないことかもしれません。

あの頃の南アフリカで、黒人の少年が指す “ターバン”とは、日本語の“居酒屋”とは大きくその趣が異なります。

コリシ氏が生まれ育ち幼少期を過ごしたのは、南アフリカの東ケープ州のポートエリザベスという街の郊外です。多くの黒人家庭がそうであったように、彼も貧困の中で育ちました。母親が亡くなってからは、祖母に育てられます。実は南アフリカでは、女系の家族が子どもたちの面倒をみるという習慣があるのです。

この記事の中にある、学校の費用が払えなかったために学校へ行けなかった、というのも何か欠けているような気がします。南アの貧しい地域の学校には学費はありません。が、例えば学校に着ていく制服代が払えなくて学校に行けない、ということはあります。

さて、ターバンをこういった南アフリカの環境から訳していくと、一番適切なのは、“場末の一杯飲み屋”、が適切かもしれません。

そして、「居酒屋で見ていました」という何気ない文章。これも決して彼が居酒屋で椅子に座り、何か飲みながらテレビで試合を見ていた、にはならないのです。

その一杯飲み屋には、多くの男性がビールを片手にかなり盛り上げっていたはずです。煙草ももくもくでしょう。もちろん、お酒を売る場所ですから、子どもは立ち入りことさえご法度です。大音響のテレビと大声援の声。幼いコリシ氏は、飲み屋さんが開け放したドアか窓の近くで、多くの他の子どもたちとぎゅうぎゅうのスクラムを組んでいるような熱気の中、ラグビーの試合を盗み見ていたはずです。
彼はそういった境遇から、ラグビーの才能を認められて、奨学金を得て、名門私立学校(中・高校)で学びます。その間、どれだけの苦労があったことでしょう。が、精進の甲斐や彼の謙虚で穏やかな人柄などが認められて、2018年6月に行われたイングランドとの3連戦で初めてキャプテンを任せられるまでになったのです。
コリシ氏の人柄が広くメディアで取り上げられるようになっていますが、多くのファンにとって、彼の人気の秘密とは意外なところにもあります。彼は、どれだけ成功して素敵な異人種の伴侶もいて、といういわゆるサクセス・ストーリーの申し子であったとしても、彼が時折見せる、伝統的なアフリカの価値観を揺らぐことなく実行しているところが大きな共感を呼ぶのです。

彼には白人の伴侶との間に二人の子どもがいます。そしてその他に、母親が若くして他界したために、孤児院にいた自分の年の離れた弟妹も養子にしています。しかも、自分たちが結婚する前にこの養子縁組はされていています。二人の間によほどの信頼関係がないと、これはそうそう簡単にできることではありません。家族親戚間では頻繁に起こる南アフリカの黒人系家族の助け合いの姿です。

南アフリカはスポーツが盛んな国です。またスポーツを観戦することが大好きな人たちが大勢います。多くの私立学校では、全額補償(寮費・食費・学費)という破格の条件で特定のスポーツに才能のある少年少女に奨学金を支給します。これは、全国的に行われる試合などでこういった奨学生が活躍し、学校の名前を有名にすることで人気のある学校になる、ということの他に、学校の卒業生たちが、母校のスポーツでの活躍を誇りにするので、彼らの懐を緩めて学校に寄付してもらう、という別の恩恵が十分見込めるからです。

南アフリカのスポーツも、かつてのアパルトヘイトの負の遺産で、これまでは人種によって好むスポーツにも差がありました。

一般的に言われているのは、南アの人口の八割を占める黒人層はサッカーを好み、一割強の白人層はラグビー、そして少数民族ではありますが、ダーバンには比較的その存在感のあるインド系住民は断然野球の原型と言われるクリケットです。

黒人層がサッカーを好んできたのは、何と言ってもサッカーが身近なスポーツだからでしょう。それこそボール一つで大勢が楽しむことができるサッカーは子どもも大人も夢中です。

ラグビーは、どちらかというと、幼い頃からきちんとバランスの取れたタンパク質をたっぷり含む食事を摂取できて身体が大きく頑強になった白人層が主力のスポーツでした。

また、インド系の住民はとにかくクリケット好きです。理由を聞くと、かつての自分たちの出身のインド・パキスタンでクリケットが英国経由で入ってきて以来、祖国で圧倒的な人気があるから、と歴史的理由もあるようです。

そういった人種で区分けがされていた南アのスポーツシーンに変化が訪れ始めたのは、種々の意見はあれど、私はラグビーワールドカップが1997年に南アで開催され優勝した時ではなかったか、と思っています。当時の南アのチームは一人の選手
チェスター・ウィリアムズ氏以外は全員が白人のチームだったのです。

あの時、圧倒的に白人のスポーツとされたきたラグビーのナショナルチームのユニフォームを来た当時の南ア大統領、故ネルソン・マンデラ氏が高々と優勝杯のWebb Ellis Cupを空に向かって掲げた時、どれだけ多くの南アフリカ人がスポーツを通して一つの国の国民としての結束感を抱いたことでしょう。

それこそコリシ氏もその時の感情をこう表現されています。

「あの優勝が国に何をもたらしたかを覚えている。あれほど皆がスポーツでひとつになるのは見たことがない」

今回、日本でラグビーワールドカップが日本で開催されて、世界からラガーマンが集まりました。ラグビーの豪快さ、チームがどれだけ一つになって試合に臨まないとゲームが成り立たないか、ということを目のあたりにしたのではないでしょうか。
また、私がラグビーのことを素晴らしいと思うのは、ラグビーのそのナショナルチームへの参加する条件がいかにも現代社会に柔軟に適応していることです。中には、日本のチームに日本の国籍を持たない選手がいることを疑問視する方々もいるようですが、世界ラグビー機構は明確にその条件を提示しています。

1) 日本で生まれた
2) 両親、祖父母のうち、誰かが日本で生まれた
3) 日本に継続して3年以上住んでいる
という条件のこのどれか一つに当てはまれば、どこの出身の選手であろうが、その国のナショナルチームの代表となることが可能なのです。この他に、他の国での代表に選ばれていないことも条件の一つです。

これだけ多くの人が出身国、出身文化を離れていろいろな分野で活躍する時代になってきたのです。こうして、多岐多様に渡る人材をナショナルチームの代表として最大限に活用することは、素晴らしいと思います。

最後に、こんなこともご紹介しましょう。

実は、準決勝戦までのラグビーワールドカップ、南ア国内ではDSTVという有料チャンネルでしか放送がなかったのです。ですから、月額日本円で7000円くらいの費用を払っている人か、あるいは前出のターバン、スポーツバー、パブリックビューイングに行ける人しか試合を見ることができなかったのです。

でも、南アのチームが決勝に残ったことを応援するため、決勝戦の行われる週に入ってから、SABCという公共放送が「決勝戦は放送します」というアナウンスをしました。シリル・ラマポーザ大統領も、わざわざ日本まで観戦に行くのに、国民のほとんどがテレビでさえ見られない、という事態は避けられたのです。

南アはまだまだ格差社会が人種によって引き起こされています。でも、ラグビーの南ア代表の中に、黒人選手が多くいる、そしてそのキャプテンが黒人の青年ということだけでも、着実に社会に変化が起きているのです。いい方向に、未来に向かって。そんな国に住んでいることを誇りに思っています。