第62回
宮沢賢治の「なめとこ山の熊」
皆さんこんにちは。全国的にコロナウイルス感染が拡大し、我慢の3週間などと言われていますが、いかがお過ごしでしょうか。もうすっかり、我慢し続けている私たちですが、ここでもう一度、気持ちを引き締めて、毎日を淡々と過ごせていけたらと思います。会えなくても、繋がっているということを頼りに、なんとか声を掛け合って、この困難な日常を乗り切りましょう。
ところで今回の「なめとこ山通信」は、先日の「オンライン冒険ひろば」をうけての、緊急投稿です。覚えていますか、冒険学校三択クイズの第2問、「冒険学校の会報で一番掲載の多いコーナーは なに山通信?」という問題です。あれは、サービス問題と思いきや、「きのこの山」や「カチカチ山」を選んだ子供たちも、いましたよねぇ。そこで、「なめとこ山」の認知度を100%にすべく、今日は、宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」について書いてみようと思います。
私がこの「なめとこ山通信」の連載を始めたのは、私が諸事情によって岩手に住んでいた時のことでした。岩手から原稿を送っていたので「岩手通信」にしようかとも考えましたが、少しひねって、宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』からとって、「なめとこ山通信」としたのです。ちなみに私のメールアドレスにも、nametokoyama が入っています。岩手に縁のある私にとって、宮沢賢治は、尊敬する作家の一人なのです。
さてその「なめとこ山」は、少し前までは賢治による架空の地名だろうと考えられていました。しかし、明治時代の「岩手県管轄地誌」に、花巻市と雫石町との境に「ナメトコ山」の記述があることが調査によりわかり、賢治生誕100周年であった1996年の国土地理院の地図から、「ナメトコ山」の山名が載るようになったのでした。ただ、この「ナメトコ山」とされた標高860mの山と、賢治の書いた「なめとこ山」とが一致するかは定かではなく、花巻出身の賢治が、おそらくその名前くらいは聞き知っていて、どこかにある奥深い山を想像して『なめとこ山の熊』を書いた、というあたりが正しいのではないかと思われます。小説の中に出てくる、なめとこ山から流れている「淵沢川」は、実際には「ナメトコ山」からはかなり離れたところを流れています。小説には「鉛の湯」として鉛温泉の名前も出てきますから、賢治はその辺りの奥深い山あい一帯を、「なめとこ山」としたのでしょう。
「なめとこ山の熊」は、こんなお話です。
なめとこ山の大空滝あたりには熊がごちゃごちゃといて、その熊たちを、熊捕り名人の淵沢小十郎が、片っ端から捕っていました。なめとこ山の熊たちは、小十郎のことが好きなのでしたが、中には気の烈しい熊が、立ち上がって小十郎に向かっていきます。そこを小十郎はズドンと仕留めるのでした。小十郎は熊を仕留めると、「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが」「仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊になんぞ生れなよ」と言うのでした。
小十郎は、七人の家族を養うために熊の毛皮と熊の胆とを売って生計を立てていました。豪儀な小十郎も、町の荒物屋へ熊の皮と胆とを売りに行くと、そこの主人の前ではかしこまってしまい、毛皮2枚で2円という不当な安さで買いたたかれてしまうのでした。ある日、小十郎は木に登っている熊と出会い、鉄砲を構えます。木から落ちた熊は、小十郎に「おまえは何がほしくておれを殺すんだ」と尋ねます。小十郎は「おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食ってそれで死ぬならおれも死んでいいような気がするよ」と言うのでした。すると熊は、し残した仕事があるからもう二年ばかり待ってくれ、二年目にはお前の家の前で死んでいてやるから、というようなことを言って立ち去ってしまいます。そして、それからちょうど二年目となったある朝、小十郎の家の外に、この時の熊が倒れて死んでいるのでした。小十郎は思わず、拝むようにします。
一月のある日、猟に出た小十郎は、夏に眼をつけておいた大きな熊に襲われてしまいます。小十郎は「小十郎おまえを殺すつもりはなかった」という熊の声を聞き、もう俺は死んだと思います。そして青い星のような光を見て「これが死んだしるしだ死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と思うのでした。それから三日目の晩、山の上にはたくさんの熊が環になって集まっていました。そして一番高いところに、小十郎の死骸が半分座ったように置かれているのでした。
童話とはいうものの、とても不思議なお話です。登場人物の荒物屋の主人と小十郎とのやり取りは、資本主義経済における不当な搾取を問題にしていると言われています。また、小十郎を襲った熊が、「おまえを殺すつもりはなかった」と言い、殺される小十郎が「熊ども、ゆるせよ」と思うのですが、それはなぜなのでしょうか。さらに最後の、熊による小十郎の送り、のような場面の意味は何なのでしょうか。わからないことの多い物語なのですが、言えることは、人の生活にとって(あるいは東北の一部地域の人にとって、と限定されるものかもしれませんが)熊は、特別な動物であったということではないでしょうか。熊は、馬や牛や、犬のようには、人に慣れたり家畜化されることの決してなかった、しかし昔から人の生活の身近にいた、動物でした。基本的に熊は、人を殺して食べる動物ではありません。家畜を襲った狼は、人によって駆逐されていなくなってしまいましたが、熊は森に棲み、人は里に住んで、長くその関係は続いたのです。
小十郎は、他に罪のない仕事をしたいのだけれど、仕方なく熊猟師をしていると言います。それは生きるためですが、熊から、「何がほしくて俺を殺すんだ」と聞かれれば、「今ごろそんなことを言われると」「おれも死んでいいような気がするよ」と答えるのでした。すると熊は、その二年後に、自らの命を小十郎に与えるのです。これは、山の神による贈与と解釈されることがあります。熊は、世界各地の民族で山の神とされています。しかし逆に、熊の立場から見ると、熊の生死を手中にしているのは小十郎です。にもかかわらず、(あるいはだからこそ)熊たちは小十郎のことが大好きで、自分の命を小十郎に捧げる熊もいれば、小十郎が死んだらその弔いも熊たちがするのです。つまり、熊にとっては小十郎こそが神様だったのではないでしょうか。
私たちは、熊の立場や熊の気持ちに立ったことは、まずありません。今年は、町に下りてくる熊がたいへん多いというニュースを耳にしました。つまり、例年になくたくさんの熊が、駆除という名の下に殺されています。熊はそれを恨んだりはしませんが、そもそも、殺されるために町に下りてくるのでもありません。人間が怖いとも思わないので、お腹が空いたから人間の町へと出てくるのですが、そこをズドンとやられるわけです。それは、熊がかわいそうとか人間が悪いとか、そういうことではありません。そういうことではありませんが、当たり前ですがそこには熊の気持ちが入ることはありません。けれどもかつて、人がズンズン熊の世界に入っていって、そうして熊の命を奪っていた時代には、地域によっては熊の霊送りをしていた文化もあったし、熊の気持ちを代弁できる人もいたわけです。宮沢賢治がその人であったように私は思います。熊にとっては人間こそが、得体の知れない力を持つ神のような生きものに見えたと思いませんか。だとしたら今、町に下りてくる熊にとっては、人間は神にも何にも見えないということなのかもしれません。
『なめとこ山の熊』の中で宮沢賢治は、熊の視点で小十郎を見たと言えるのかもしれません。熊の視点から見たら、人間のおかしな経済社会が見え、人間の持つ恐ろしい力が見え、人間本来の優しさも見えていたのかもしれません。その、熊の視点が、賢治の視点でした。この物語の中に、熊の親子のたいへん印象深い場面があります。この場面のために、この物語は童話とされていますが、同時に賢治の作家としての力が発揮された、非常に美しい場面でもあります。丸々引用ですが、それを載せておきます。
小十郎がすぐ下に湧水のあったのを思い出して少し山を降りかけたら愕いたことは母親とやっと一歳になるかならないよいうな小熊と二疋ちょうど人が額に手をあてて遠くを眺めるといったふうに淡い六日の月光の中を向うの谷をしげしげ見つめているのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付けになったように立ちどまってそっちを見つめていた。すると子熊が甘えるように言ったのだ。
「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」
すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと言った。
「雪でないよ、あすこだけ降るはずがないんだもの」
子熊はまた言った。
「だから溶けないで残ったのでしょう」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです」
小十郎もじっとそっちを見た。
月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこがちょうど銀の鎧のように光っているのだった。しばらくたって子熊が言った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ」
ほんとうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキエ)もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさんはわかったよ、あれはねえ、ひきざくらの花」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ」
「いいえ、お前はまだ見たことありません」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう」
「そうだろうか」子熊はとぼけたように答えました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもじの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。
ここには、ただ会話をする熊の親子がいるのではなく、小十郎の目を通して私たちは熊の親子に出会うのです。だから熊の親子から後光が射すのであり、親子に知られないように、後ずさりしながら私たちはこの場面から退場するのです。私たち人間が、熊の心情に通じることの出来た、希有な場面であると思います。(コキエというのは、牡羊座の東側の小さな三つ星のことだそうです。胃とは胃宿のことで、星座のような星の集まりを東洋では宿と言ったのだそうです。ちなみにオリオン座の三つ星は参宿と呼ばれ、「なめとこ山の熊」の中では「参(しん)」として出てきます。)
『なめとこ山の熊』を読み返してみると、自然の中で熊も私たちも同じように生き、同じように死んでいった、そういう世界、そういう時代があったことがわかります。同時に、そういう世界は今ではもうなくなっていることも実感します。小十郎の家族は「うち中みんな赤痢にかかってとうとう小十郎の息子とその妻も死んだ」とさらっと書いてあったりしますが、人が克服できないのは正体不明の病気であることは同じかもしれません。
「なめとこ山」は、どこにあるかどの山かわからない、そのような架空の場所ですが、そこでは、熊も生き、人も生き、そして死んでいきます。それが普通のことですが、今は何か、失われてしまった世界のようにも感じられます。宮沢賢治はそうした世界を見つめ、こんな世界もあるんだよということを、私たちに伝えようとしたのではないでしょうか。そこには賢治の考えるイーハトーブ(理想郷)の思想もあるのかもしれません。みなさんもぜひ、宮沢賢治の作品を、読み返してみてください。私たちが忘れている、何か新しい発見があるかもしれませんよ。