第55回
コロナ禍で起きていること
コロナ禍が世界中で猛威を振るい始めてから半年近く経ちました。ここ南アフリカでも、3月の27日より全国規模でのロックダウン(都市封鎖)が大統領令で始まり、8月18日にレベル2までにその規制が緩和されました。このロックダウンのレベルには様々な規制があるのですが、簡単に主だった規制を身近な例でまとめると、以下のようになります。
上記のロックダウンが実施された時期は以下の通りです。
レベル5 3月27日より4月30日まで
レベル4 5月1日より5月31日まで
レベル3 6月1日より8月17日まで
レベル2 8月18日より
レベル1 未定
最も厳しかった最初のロックダウンのレベル5では、外出は医療を受けること、食料品を自宅の近く10キロ以内くらいのお店で購入することのみが許可されていました。それでも、レベルは徐々に緩和され、2か月後の5月よりレベル4になり、ようやく私の手掛けている仕事の一つ、日本食のお弁当屋さんの営業も再開できるようになったのです。
お弁当屋さんが早い時期に許可されたのは、私たちがデリバリー専門のお弁当屋さんだったからです。これは本当に幸運でした。日本語教育や通訳のような仕事はまだまだ休業状態ですが、せめてお弁当屋さんが営業できるのは、スタッフのためにも本当にありがたいことです。
ロックダウンレベル5では、外に出ることも簡単にはできませんでした。お弁当事業のスタッフも、通勤時には社用車での通勤にも関わらず、幾種類もの書類を常に持参し、警察の検問でそれらを提示する必要があったのです。実際に書類の不備で警察に逮捕される人々のことが毎日のようにローカルニュースになっていました。
それでも、家に食品の蓄えがあったり、ロックダウン寸前に食べ物や酒類などを買いだめできた層は恵まれていたのです。中には明日から簡単に買い物ができないと分かっていても余分に食料を変える経済的な余裕がなく途方に暮れた人たちもたくさんいたのです。
日銭を一日単位で稼いでる単純労働に従事している人々は本当に困窮しました。まず、工事現場や小規模のゴミの収集などの仕事が一切できなくなってしまったのです。
もちろん、そういった人たちを援助しようと立ち上がった団体はいくつかありました。が、到底全員にその恩恵が届くわけもなく、思いのほかロックダウンの段階が早めに早めに緩和されたのは、こういった現状があったのでしょう。このままでは本当に餓死者を多数出しかねない、という政治判断でした。
さて、南アのような途上国では、たとえ職があったとしても、その職種によっては非常に賃金が低い場合があります。最低賃金そのものが守られていない場合もあります。
かなりの低額で働いているその筆頭は、やや裕福な家庭であれば必ずその姿を見かける家事労働を担うメイドさんや庭番の労働者たちです。彼らは単純労働者と呼ばれ、最低賃金は一日1000円ほど。さすがに南アでもこれでは一家を支える金額ではありません。
ただ、今日、この記事でお伝えしたいのは、このなコロナ渦中でも起こっていた嬉しい出来事です。
レベル5では、家事労働をする通いのメイドさんたち、庭番の人たちはまったく働けなくなりました。実際、単純労働への規制が緩和されたのは6月に入ってからです。ただ、規制が外れた、と言っても、彼らの雇用主の全員が雇用を始めたわけではありません。それは、一重に彼らが通勤で使う乗り合いタクシーがかなり密の高い状態で運行されるため、安全だとは言い切れないからです。通勤の途中での感染が心配な雇用主は彼らの雇用を再開していません。
日雇いに近い状態で働いている彼ら。仕事をしなければ即、収入が途絶えます。が、このロックダウンのニュースが出てから私が住むコミュニティのWhatsApp(英語圏のLINEのようなもの)という携帯電話のアプリに毎日のように発信されたのは以下のようなメッセージだったのです。繰り返し、繰り返し、毎日このメッセージが流れてきました。
「皆さん、いろいろ厳しいけれど、メイドさんたち庭番の人たちに休業補償をしよう!」
南アフリカに限らず、アフリカでメイドさん庭番たちは決して優遇されている職種ではありません。まず、最初に雇用が切られるのが彼らです。
そういった中、本当に多くの人が彼らのお給料を保証しよう、と声掛けをしていたのです。これには、本当に励まされました。自分たちも大変、でも、もっと大変な人たちへの援助を忘れないようにしよう、という心意気が感じられました。
実際、弊社のスタッフに聞いてみても、多くの人が自宅待機の中、減額はそれぞれあったものの何らかの休業補償はもらっていたようです。
幸いなこと、弊社のお弁当事業では、全員が調理スタッフとして働きながら他の仕事全般もしてもらっているので、失業保険の方からの援助もあり、減額一切なしでお給料を支払えました。もちろん、お弁当事業ができなかった4月もお給料は通常通りでした。
さて、我が家には、お弁当スタッフの3人の他、マラウイ人の庭師が二人、交代で週4日ほど働いてくれています。彼らは正規では南アで労働できる許可は持っていません。つまり、公には何の援助も受けられないのです。ただ、現実問題として、マラウィやジンバブウェからは多くの労働者が来ていて、国境でのパスポートコントロールも彼らは別個のルールで入国することが可能なようです。この辺の事情はかなり複雑なので、詳細はまた別の機会に譲ることにします。
私は、このマラウィ人のスタッフ二人に通常の二倍ほどのお給料を払うことにしました。それは、彼らの別の雇用主(知人)が彼らに休業補償をしそうにないことが分かっていたからです。それぞれの事情があるでしょうから、簡単に批判することはしません。
ただ私は、自分が関わっているスタッフにはこういう時に手を差し伸べるのは当然のことだと思うのです。
これを偽善と呼ぶ人もいるかもしれません。不公平と思う人もいるかもしれません。でも、もう今の私には世間がどう思おうが、自分のしたいこと、正しいと思うことを実行することに躊躇はありません。
彼らが感染を避けるために家を出ず、子どもたちと共に健康で過ごす、という安全な生活を送ってもらうことが目的でした。もちろん、それに対する見返りはまったく期待しませんでした。
ところが、彼らがレベル4の段階になって庭仕事に戻って来て、こんなことを言ってくれたのです。
「マダムだけが支えだった。子どもの名付け親になってください」
実は、一人のスタッフに赤ちゃんが生まれていたのです。もちろん、お祝いも用意していましたが、こんなことを言われるとは想像だにしていませんでした。
私は、「えっ、そんな大切なことを私に?」とあたふたしていたのですが、彼から数時間置きに「名前まだ?」のメッセージが届くのです。
せめて一週間くらい時間をもらえるのか、と思っていたら、すぐに名前が欲しいということだったので、仕事を全部中断して、赤ちゃんの名付けに専念しました。マラウイの友人にもいろいろ聞いて、音が彼らの言葉チェチェワ語でも、日本語でも、英語でも呼びやすい、美しい名前を探しました。
美波
みなみ
ダーバンで生まれた美波ちゃんに、美しいダーバンの波がたくさんいいことを運んで来ますように、と願います。
コロナがなかったら、この美波ちゃん、まったく日本語とは関係ない名前をつけてもらっていたことでしょう。人生は不思議です。
人と人との関わりの豊かさに背中を押されながら生きているなぁ、と感じています。